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テーマトーク第2回の資料閲覧期限は終了いたしました
アーカイブについて

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各回のテーマ
第6回のテーマ「ことばで境界線を引く」
▼岩本さんからのコメント▼
日本文化は「内と外」の文化、つまり、内の人と外の人を区別する文化だと言われますが、これは、日本語の文法構造の中にも深く根をおろす特徴です。その一つが丁寧体の「です・ます」です。
「です・ます」を使う時、話し手、あるいは書き手は、それによってどのような行為を行っているのでしょうか。また、逆に丁寧体ではない普通体を使う時には、それによってどのような行為を行っているのでしょうか。単に相手を敬うか否かということでは捉えられない心理が表現されています。それをご一緒に覗いてみませんか。
第5回のテーマ「「あれ?」「あれ!」」
▼岩本さんからのコメント▼
森山良子さんのヒット曲に「Ale! Ale! Ale!」という歌があります。中高年になった人が、言葉を思い出せずに発する「あれ」「あれ」「あれ」を歌詞にしたもので、思い当たる節がある人たちが爆笑しながら聞くという楽しい歌です。
この「あれ」の「あ」は、「あの人」「あの時」の「あ」と同じですが、どのような意味を持っているのでしょう?この「あ」を使う時はどのような心理状態なのでしょうか?
言葉の分析をとおして、この「あ」の意味を深掘りし、キリスト信仰を与えられることによって、「あ」を使った言語行為が変化し、内的世界が変化するということについてお話しします。
第4回のテーマ「「内」と「外」」
▼岩本さんからのコメント▼
次の夫婦の会話を聞いて、どのように感じるでしょうか?「トイレ、掃除したよ/トイレ、掃除してやったよ。」「ゴミ出したよ/ゴミ出してやったよ。」言われた時、どちらが気持ち良いでしょうか?「掃除してやったよ」「出してやったよ」と言われると、「トイレ掃除やゴミ出しは、私の仕事で、あなたの仕事ではないのね」と言い返したくなるのではないでしょうか。
日本社会は「内」の人と「外」の人を区別する社会だと言われることがありますが、これは日本語の文法体系にも広く見られる特徴です。一方、聖書の言語にはこのような「内」「外」の区別はありません。聖書のことばを日本語で表現する時、それをどのように日本語の「内」「外」に落とし込めば良いのでしょうか。何も考えていないと、全く違った意味の表現を使ってしまうかもしれません。
第3回のテーマ「共通知識を使え!」
▼岩本さんからのコメント▼
私たちが行うコミュニケーションは、話者と相手双方が持っている知識(記憶やその場の状況の把握を含む)をもとに行われるのですが、話者は、相手が自分と同じ知識を持っているかどうかを想定しながら発話します。相手が知らないことについては必要な情報を提供しなければなりませんが、相手がそれを知っていると想定する場合は、それを前提に伝えたい内容だけを話します。話者の想定が正しい場合は、コミュニケーションは円滑に進み、間違っている場合、相手は話者が何を言っているのかわからず、前提となる情報の提供を求めたりします。言語学では、このようなコミュニケーションの能力を語用論知識と呼びますが、イエスは語用論の達人です。今回はイエスがどのように語用論を用いて洗礼者ヨハネとの最後のコミュニケーションを図ったか、ご一緒に考えたいと思います。
第2回のテーマ「”信じる”ってどう言う意味?さらに深掘り!」
さて前回は「信じる」でしたね、既にたくさんの方々から新しい気付き!何気なく使っている言葉だけどいろいろ考えさせられた!などなどたくさんのコメントをいただいております。今月はさらに深掘り!
▼岩本さんからのコメント▼
妻が「私は夫を信じています」と言えば、何となく悲壮感が漂い、「あなたを信じています」と言われれば、プレッシャーをかけられているように感じるのはなぜでしょうか?このことから「信じる」という言葉に含まれる意味内容を深掘りします。クリスチャンが「信じる」というときどういう心理が働くのか、皆さんとワイワイガヤガヤお話しできたらと思います。
深掘りしたい皆さん、21日お待ちしております!
第1回のテーマ「信じる」
期待のテーマトーク、新シリーズが明後日始まります。牧師で言語学者の岩本さんと「信じる」という言葉を掘り下げてくんですって。
日頃クリスチャンが当たり前のように使っている「イエス様を信じる」という言葉、よくよく考えてみたら「私はイエス様の何を信じているんだろう?」と思考の迷路にハマってしまいそうです。
そんな言霊の水先案内人、岩本さんとコトバの海に漕ぎ出してみませんか?
▼岩本さんからのコメント▼
普段私たちはことばの意味を深く意識せずに話しています。同じ言葉を使っているから意味が通 じていると思っていても、そこに意味のズレがある場合、理解し合えていないという状況が生ま れます。
言葉の意味を意識化するとはどういうことか、クリスチャンにとって重要な「信じる」と いう言葉を例にご一緒に考えましょう。
プレゼンテーター:岩本 遠億(いわもと えのく)

1959年キリスト伝道者の家に生まれる。東京学芸大学、国際基督教大学大学院を経て、オー ストラリア国立大学博士課程修了。言語学博士。 大学生の時、信仰を失い、心身ともに病む。1981年圧倒的な聖霊体験により立ち上がり、独立伝道者としての道を歩み始める。
1988年、1990年パプア・ニューギニア単身伝道。 2001年4月、JTJ宣教神学校元校長横山英実牧師より、牧師に任職される。2003年11月 よりミッション・エイド・クリスチャン・フェローシップ牧会スタッフ。 2006年8月「キリストの平和教会」を設立。 聖霊による洞察と言語学的分析による独自の聖書解釈とメッセージは多くの共感を呼び、メルマガ 「元気の出る聖書の言葉」は聖書メルマガとして20年以上にわたって屈指の読者数を獲得し続け、音声、動画メッセージの視聴者は世界150ヵ国以上に及ぶ。現在、神田外語大学大学院言語科学研究科教授、キリスト平和教会牧師。