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各回のテーマ
第6回のテーマ「いのち果てるまで」
先月は「おれたちの旅路」、人生って長いようで短い旅路、歩いていると色々あります。何者かになって何かを残したい、なんて高みを目指したくなってしまったり、でも旅路はそのプロセスが大事なんだって大頭さん、今月はいのちはてる(命果てる)とも… 焚き火のパチパチ優しい炎 に誘われてどんなお話が展開するのでしょうか。
▼大頭さんからのコメント▼
対話の言葉は一回きりではなく、重ねて覆いあって、作られる。 想定問題は有害だし、相手の言葉尻をとるネット文化は…。 もうすぐ世をさるおらが、若い人に言えることは、だいぢょうぶ、のひとこと。
第5回のテーマ「おれたちの旅路」
「おれたち」でも「男たち」でも、その裏には「男性」という属性にノスタルジーを感じる、ということがあるんだろうなぁ…、なんて、今どき、っぽい意地悪な意見を言いたくなる私です(ドラマはガッツリ「不適切な」昭和だしね)。それでも戦争で従軍させられる男性たちが優先されるわけで(女性は志願でしょ?)。
「ワタシたちの旅路」もまた、豊かなドラマを持って歩み続けているわけです。「大切なのはプロダクトではなくプロセス」。誰が言ったか、は内緒です。(^ ^)
第5回の小テーマ「おれたちの旅路」
▼大頭さんからのコメント▼
俺たちの旅路は、僕の記憶違い。男たちの旅路というテレビドラマの誤り。世代も背景も異なる警備会社の社員たちが、仕事の中から拾い出した疑問に対し真面目に向き合う姿を描く。 主人公の吉岡司令補(鶴田浩二)、特攻隊の生き残りであり、戦争はどこから始まったのか疑問を持ち続けて生きる彼を中心に、杉本(水谷豊)、島津(桃井かおり)、鮫島(柴俊夫)、柴田 (森田健作)が時に激しくやり合う。その主題歌と思っていたのが、他のドラマの歌と判明。正しくは「俺たちの朝」。
🎵 答えを知らぬ君にできるのはただ明けてゆく青空に問いかけること🎵
というわけで、人生は旅。
高みをめざすのではなく、プロセスを生きる。何をするかというより、いかにするかが大切みたいなことを。
第4回のテーマ「考えるな、感じろ」
12月16日(月)20時~「考えるな、感じろ」 (大頭さんより) Don’t think, feel ! は、かのブルース・リーの名言。
冷たい論理ではなく、正しいだけの倫理でもなく、全存在で神を知る。けれども、私たちの感覚は麻痺している。良い知らせは仲間。多様性こそ祝福です。
それぞれに異なる感性を持つ仲間が、自分の感覚を伝え合うことによって、神に近づいていきます。4世紀から5世紀に生きたカッパドキアの三星と呼ばれる三人組もそのようにして、エペクタシスやペリコレーシスといった福音の核心をとらえていきました。
第3回のテーマ「ただしさではなく、なつかしさ」
ニュツサのグレゴリオスの断崖のたとえや神を知るための芸術の役割など、いつものようにポロポロ語ります。
AIのチャットGPT爺さんに「大頭眞一の思想とは?」と訊いてみました。
答えは「大頭眞一の思想は、キリスト教信仰の根幹にある「愛」や「隣人への奉仕」を強調するもので、日常生活や地域社会の中での実践を重視しています。牧師として、彼は聖書を人々の生活に密接に結びつけることに力を注いでおり、信仰をただの教義や儀式に留めず、現実の中で生き生きと活用されるべきものと考えています 。
特に『焚き火』を象徴として用い、信仰の温もりやコミュニケーションの大切さを説いています。焚き火を囲みながら、仲間や家族、地域の人々と共に神や人生について語り合うというスタイルは、彼の説教や著作でも頻繁に表れています。この「焚き火」のイメージには、現代社会における対話の重要性や、人と人の関係が持つ意味を再発見する思いが込められています。さらに、大頭は日々のエッセイや対話を通じて、信仰を内面的なものとしてだけでなく、社会や人間関係を豊かにするものとして捉えています。」
でしたよ。
第2回のテーマ「愛のヒンドゥスクワット」
通常のスクワットの場合はかかとで踏ん張りますが、「ヒンズースクワット」では忘れましょう。「ヒンズースクワット」は、かかとを上げたまま行います。
1. つま先立ちになり、膝を前に出し、両手は横に置いたままスクワットします。
2. そして、かかとは上げたまま、両腕を前に振ってバランスをとりながら、足の親指の付け根にある母指球に力を入れて立ち上がります。
3. まずは15回1セットで始めましょう。(ダイヤモンドオンラインより:こちら
▼大頭さんからのコメント▼
『悩みの中にあるとき、そこから逃げ出したいと思うぼくたち。でも、過大にでもなく、過小にでも世界を見ることができたなら、と思います。だから仲間とともに、愛のヒンドゥースクワット!』ということで皆さんお楽しみに!
第1回のテーマ「京都より〜百年かけて考えるということ」
前回のレターで「クリスチャンが焚き火を語る」ってどういうこと?と思っておられる方もいるでしょう。
あたしゃ、焚き火といえば教会の夏のキャンプで囲んだキャンプファイヤーを思い出します。あのような「火」って不思議ですよね、心が落ち着くし、ずっと見てられる…。
大頭さんは「焚き火牧師」と呼ばれているのですが、それは単に火遊びが好きなだけでなく(実際、BBQは好きらしい)、焚き火を囲んでいるときの「妙に打ち解けるような」あの気持ちで対話する、ということを大切にしている、ということなのです。
▼大頭さんからのコメント▼
僕はこのSNS時代にあって、地に足をつけた関係性を生み出す「語り合う文化」を作りたい、と思っています。今回は歴史ある街、京都で感じることを分かち合いながら、「百年かけてものを考える」ということを話題にしようと思います。
プレゼンテーター:大頭 眞一(おおず しんいち)

京都信愛教会(京都市北区)と明野キリスト教会(京都府八幡市)牧師。神戸生まれ。
妻と娘一人(今は天に)の3人家族です。25才で主イエスを信じてほんとうによかったと思っています。
特技はお好み焼き(予約いります)。
25才のとき垂水教会で受洗。三菱重工(株)で営業職として14年間勤務したのち、英国ナザレン神学校・同大学院を経て、神戸の関西聖書神学校で学ぶ。
岡山県の香登教会で副牧師を5年つとめたのち現在、京都信愛教会(京都市北区)と明野キリスト教会(京都府八幡市)牧師。関西聖書神学校講師(教会史)。
著訳書に説教集『アブラハムと神さまと星空と(創世記上)』(現行は第二版)、(『聖書は物語る』(現行は第八版)、『聖書はさらに物語る』(現行は第四版))、『焚き火を囲んで聴くキリスト教入門』、『聖化の再発見』など多数。