みんなの広場に「出版社ヨベルさんのキリスト教書籍の朗読会」というグループがあります。

このグループは関係者のみのプライベートグループのため、グループ内での活動の様子はお見せできないのですが、出版社ヨベルさんと著者さまから、朗読された音源を公開してもよいとのご許可をいただきましたので、このページで一部をご紹介させていただきます。

出版社さま、著者さまに感謝いたします。

朗読の聞き方

各章をクリックしてアコーディオンを開いてください。
音源を聞くことができます。

大頭眞一 著 「アブラハムと神さまと星空と」創世記上 焚き火を囲んで聴く神の物語・説教篇1

あなたの推しの本を選ぶなら?と問われれば、間違いなく、この「アブラハムと神さまと星空と」です。

神さまの愛を知ること、神さまは目には見えないお方なのに、神さまを五感で感じられるのです。誰でも、私たちみんなが神さまと交わり、愛をそそがれ、抱きしめられているということ。神さまの語りかけに耳を傾けることの喜び、平和な心はもうすでに、与えられていたということを知るのです。神さまを知らないという人にも、弱さの中にあるお友達にそっと渡したい。そんな本なのです。

神さまの深い物語が、今ここから、大頭眞一牧師の優しく、温かな、魂から溢れでるような言葉が綴られ、語りかけているのです。読みながら心震え、時に切なくなるほどに、涙溢れつつ朗読しました。

ご一緒に神さまの深い、深いご愛を受け、神さまがどれほど私たちを愛したいと願い続けておられるのか、イエスさまが共にいてくださることの恵みを味わっていただければ幸いです。焚き火にあたりながら、あなたの心にお届け出来ますように!!

①天地創造

新島襄がどうしても手にしたかった聖書。聖書が語りかけたこと…。神さまが、新島襄に働きかけたこととは?「はじめに天と地が創造された。」聖書が語る神さまの物語が始まる!

大頭牧師が解き明かす創世記は、聖書をよく理解できないと感じる方にも、知らないという方にも、きっと思わず耳を傾けることでしょう。神さまの愛の物語の始まりです! 

②世界で最初のラブソング

創世記2章23節「これこそ、ついに私の骨からの骨、私の肉からの肉。…」そう歌うアダム。世界で最初のラブソングと言われるところ。愛し合うために造られた私たち。愛とは何か?神さまの愛とは? 

③ああ、アダム

私たち一人一人がアダムであって、今日このいのちの木を選ぶようにと招かれている。ずっといつも神さまはご自分に向かって、いのちに向かって、私たちを招いておられる。

それにも関わらず背いて生きている私たち。それでも神さまは「あなたはどこにいるのか」と訊ねてくださる。探してくださる。そして連れ戻してくださる。神さまのご愛の深さをここからも知る恵みに感謝があふれるばかり。 

④失楽園

人が世界の主人公になろうとしとき、世界に不幸な破れが始まりました…。神さまは、人が果てしなく悪いものになっていくことを、とどめることを願いました。そこで「死」という制限を設けられたのでした。絶望的で最悪な歴史のように思っていました。

けれども神さまは愛のお方。世界の回復を願い、目標としていてくださった。世界の破れを繕う私たちであるようにと願っておられる。私たちを通して神さまの物語が進められている。希望の光を見つけられたように感じられる。 

⑤カインとアベル

「生めよ。ふえよ。」と命を祝福してくださる神さまは、神さまの心がわかる人がふえよ。と願っておられた。カインとアベル、二人の兄弟が生まれたのも、助け合って生きるため。愛し合って生きるために造られた。それなのに、悲しい事件が起こる。

それでもあきらめない神さま。愛に背を向けて、気難しい、孤独な主人公になることがないようにと願っておられる神さま。イエスさまを与えてくださった神さま。聖餐を受ける私たち。聖餐に込められた思い、意味とは…。 

⑥ノアの箱舟

本気で私たちに愛を望んでおられる神さま。自然災害、悲しい出来事が何故起こるのかはわからない。神さまが起こされたことではない。私たちを大きな愛で愛されているということの中で、私たちが悲しんだり傷んだりしているときには、私たち以上に神さまが悲しんでおられること。

これを知っておくならば、私たちの目は開かれてゆく。ノアの箱舟の物語の締めくくり、約束の虹。神さまがくださる本気の祝福を、私たちは感謝して、信じて、受け取る信仰者でいたい…。大きな励ましを受ける章。 

⑦バベルの塔

アダムとエバから始まった罪が下向きの渦巻きのように、下に行くほどどんどん勢いを増して、世界を吞み込んでいく。 

神さまが恐れているのは、彼らが神さまに背を向けて、神さまを忘れて、神さまから離れて滅びていくこと。神さまが支配者であることを否定する社会は結局自分が主人公だと思っている人々同士が互いに傷つけ合っていく世界。そのように、人びとの苦しみがさらに増すことを、神さまは心配して、これをとどめようとなさいました。私たちが変えられていくということとは?神さまの愛に生きることのヒントが詰まっています。

⑧アブラハムの旅立ち

「わたしが示す地へ行きなさい」神さまからアブラハムへの「召し」コーリングが繰り返される。私たちにも神さまからのコーリングを感じ、繰り返しの呼びかけを感じることがある。

それは神さまからの祝福。何かの決断を求められたり、何か心が変えられていくことを求められたりする。信仰によって、促しに従ったアブラハム。そんなアブラハムも失敗を繰り返す。しかし、神さまはアブラハムを見捨てない。促し、信仰を持って進む時も、神さまがしてくださることを思い巡らせる。 

⑨アブラハムの選択

「のち知るべし」と祈りの中で用いられる。今はわからないけれども、あとでわかります。だから、いま示されたことをやっていく。毎日生きていく私たちは神さまに「どうしてですか?」さけびながら、しかし置かれた場所で神さまにお仕えしていく。

アブラハムは自分の中に破れがあることを発見した。恐怖に支配されて神さまのみこころを行うことが出来なかった。そういうときに、アブラハムは神さまを呼び求めた。選択しないことを選んだアブラハム。神さまへの信頼の心を知る。なにがなんでも握りしめることからの自由。大切なことをアブラハムを通して学び、私たちの進む道を示される章。 

⑩アブラハムの分け前

捕虜になった甥のロトを奪還したアブラハム。アブラハムとメルキゼデクの出会い。メルキゼデクから受けた祝福を喜ぶアブラハム。神さまの御臨在と喜びを味わったアブラハム。私たちも、神さまからの祝福を受け、成長する。神さまのおこころをゆっくり、時間をかけて知ってゆく私たち。祝福を受ける私たちと捧げることについて学ぶ心が与えられました。。

⑪アブラハムと神さまと星空と

神さまが与えてくださる信仰の心。すなおに受け取ることが出来る私たちでありたいと思わされます。神さまがアブラハムの手を取り、星空を眺める姿がありありと浮かぶような気がいたします。それは、神さまがいつも私たちに語りかけてくださる神さまのまなざしと、あたたかなみ言葉を聞くこと。アブラハムを通して、私たちもまた神さまが親しく交わりたいと願ってくださっていることを知りました。

Solae(ソラ) 著 絵本 「起き上がり小法師」

起き上がり小法師

いつも目の前にある起き上がり小法師。「何度でも起き上がる、起き上がりこぼし・・・」頭の中に繰り返されるそのフレーズ。

これまでの道のりと重なった時生まれた小さな物語。神さまがそっと起き上がらせてくださった。身体も、心も、新しくしてくださった。新しくされたことに意味がある。神さまの思いがあることを、少し知ることができたように思うのです。

辛かった時、3.11が起きた。テレビに映し出された東北の姿。神さま、何故私を生かしたのですが?私の命より、ここにおられる方たちを救ってくださればいいのに!!そんなことを考えました。不思議なように導かれた福島。訪れて見る景色は、穏やかで美しかった。美味しい水、美味しいお米、お蕎麦、野菜…。帰りの飛行機の窓から見えた福島の町。明かりの消えた町を目にした。

3.11のあの日、私が思ったことは無知で、愚かな自分を顧みた。かわいそう。頑張って!そんな思いや言葉より、できることがあるはず。思い続けること。忘れないこと。私はあの日の出来事を忘れない。無力で無知で、何もできないけれど、思い続ける。東北の土地とそこに住む人々のことを思い続けること。神さまにお任せすることしか出来ないけれど、祈りつづける。

事故に遭って、多くのことを失ったけれど、生かされて、新しくされたこと、感謝して生きてゆこう。今も、これからも、私の心に、あなたの心に、みんなの心に、いつもそっと手を添えてくださる方がおられる。くじけそうになったり、しんどいなと思う時、心がフリーズして固まってしまう時、どんな時にも起き上がる力が与えられている。出会った人たちへ感謝します。優しい心と、優しい手を差し伸べてくださった方に感謝します。私は笑顔で今日も元気に守られています!!どうぞ、あなたも今日が良い日でありますように!!

岩本遠億 著「神はあなたの真の願いに答える」ルカの福音書説教集1

岩本遠億先生の紐解くルカの福音書説教集。礼拝にて語られたメッセージに加筆して収録されています。

ルカの福音書を読む時、その時代背景やそこに存在していた人物などについて、旧約聖書を開きながら、丁寧に語られています。聖書の言葉からだけでは、分かりにくいと感じるのですが、遠億先生は優しく、誰にでもわかりやすく、語っておられます。

読みすすみますと、まるで目の前に聖書の登場人物、景色、時に起こる事件や出来事がリアルに映し出されるような感覚になります。遠億先生が祈りと共に、緻密で、言語学者らしさを持って厳選された言葉で語ってくださるからこそだと思うのです。ルカの福音書、第1巻の始まりです!

①神はあなたの真の願いに答える

ザカリヤにスポットが当てられています。祭司ザカリヤと妻エリサベツが願っていたこと。2人の間に生まれた洗礼者ヨハネ。神さまの御使いガブリエルが伝えた「あなたの願いは聞き入れられた」の宣言と、私たちが抱く表面的な願いと、真の願い、真の我が切に求める願いが違っているかもしれないということの気づき。

その時、口が聞けなくなったザカリヤは神さまとの時の中にあり、聖書を読みながら思い巡らせ、啓示を求め、神さまの声に耳を傾けようとしたとあります。そうして、聖霊に満たされたザカリヤは御心の道に進む姿がリアルに語られています。これらのことを通して、私たちにも示されることを知るのです。

②メシアを育てる-この人のために生きよ

イエス様誕生の様子と時代背景について学ぶ箇所。
住民登録のためにナザレからベツレヘムへ向かうヨセフとマリア。この住民登録について、歴史から学び、神様ご自身のご意思を遂行なさった出来事であったこと。

そして、マリアとヨセフという人物についても大変丁寧に、またリアルに語られています。ナザレという土地柄のこと。ヨセフの仕事のことなど、私たちが普段知り得ない事柄を教えて下さっています。読み進む毎に、聖書に記されている物語が鮮やかに理解を深めてゆけるようでありました。

③神はこの命を愛してくださっている ④真の権威はここに立つ ⑤ 「私は特別」の落とし穴

悪魔について語られています。
イエスさまが伝道を始められる前に、サタンから試みを受けたことを学ぶほどに、サタンの執拗さは、イエス様を十字架から引き離すことだったということ。サタンは愛を死なせるために誘惑する。そうして、謙遜について学びは豊かな学びへと導かれてゆきます。イエス様の謙遜が私たちを悪魔から守ってくださること。感謝と祈りばかりです。

⑥否定されても、何度否定されても

イエス様は、ご自分が排斥されることがわかっている古郷ナザレに、わざわざ来られたと言います。それはなぜだったのでしょうか。それにはどのような意味があったのでしょうか。。。

この章においても、イエス様が父ヨセフと共に過ごした様子、時代背景などきめ細やかに解説され、さらに、会堂にて朗読を任されることは、テストされていたこと。そのテストがいかに難解であったかを知り、驚きばかりです。言語学者ならではの言葉、文字認識の知識について知ることは、聖書をもっと深く読むことが出来るよう道案内をされているように思います。 
イエス様からの語りかけに、大きな励ましを受けるのです。

⑦そのままわたしのそばにいなさい

イエス様は、私たち一人ひとりの内面的事情、外面的事情を知って、個別的にアプローチをしてくださるお方。ペテロがどのようにイエス様と出会ったかを学ぶ。。。ペテロのイエス様に対する思いを丁寧に読み解いてゆきながら、イエス様のご愛に触れる。

讃美歌「いさおなき我を」の誕生秘話は、私の心や思いと重なり、深く響きました。イエス様が語りかけてくださる「そのまま来なさい。罪人のまま私のところに来なさい」とお言葉がいま、私の心にも届き、感謝です。

⑧ 「私みたいな者」とは言わせない

冒頭に記されている、ポジティブ・フェイスとネガティブ・フェイスは、思い当たることばかりで、大変興味深い内容です。また、日常よく「私みたいな者」という言葉も発してしまいますから、この章は私のために語られたメッセージではないかと思いながらの朗読となりました。

汚れた霊に取り憑かれた息子の箇所から学びは進みます。イエス様はネガティブ・フェイスをお喜びにならない。とあります。これは、痛烈パンチのように心に響きました。言語学者だからこそ、言葉のニュアンス、使い方、用い方にきちんと意味があることを指摘されておられます。きめ細かな用語、用法に耳を傾けていただきながら、それでもイエスさまがお語りくださる愛に満ちた力強いお言葉をこの身にまといたいと願うばかりです。

⑨答えは神のいのち

罪ということ。罪の赦しについて学んでいきます。そして、その罪と赦しは「いのち」と「死」との関係によって罪と赦しということを理解し、理解するだけでなく、イエス様の十字架の血を、私たちはこの存在で体験することが大切です。と語りかけられて始まります。

イエス様が人々の前で語られている所に、中風を患う友を天井からつり降ろした話しの箇所。

何故、如何にしてこの事が行われたのか、時代背景、文化風習的な歴史を教えてくださりながら、この箇所の詳細が語られてゆきます。そして、イエス様が来られたことの本質について、力強く、強調して語られています。

信仰は考え事ではありません。友のために祈りはじめる。その時、友のいのちの回復のプログラムは開始するのです。この愛が、イエス様の愛と呼応する。イエス様は、必ずいのちを注いでくださいます。諦めてはなりません。友のために祈りましょう。友と共に祈りましょう。友が祈れない時、私たちが友に代わって祈りましょう。その祈りは必ず聞かれる。私たちと共に祈ってくださるお方がいるからです。。。
いつも祈りに支えられていることを思いますし、祈る者でもありたいと願うのです。

⑩自己分裂の中から

カペナウムに駐留していた百人隊長のイエス様への信仰の記録から学びます。
この百人隊長の立場や人柄がつぶさに語られています。

そうして、その百人隊長が「ただ、おことばを下さい。そうして私のしもべを癒してください。」と懇願する願いに、私たちは大きな学びを得るのです。私たちもまた、そのようでありたいと願いつつ、祈る大切さを知るのです。

⑪この存在の真の願いを知る神

あなたの願いは何かと問われ、心の奥深くを探り求めてゆく作業をしながら、読み進みました。
洗礼者ヨハネとイエス様との最後のコミュニケーションについて学ぶ箇所。

イエス様が洗礼者ヨハネに特に伝えたいこと「死人が甦っているぞ。メシアは死に打ち勝っているぞ」ということ。
「わたしの中に希望を見出だすものは幸いである」とおっしゃっておられる。そして、ヨハネの真の願いを学び知ることで、私たちにとっての真の願いは何かを知るのです。生きてゆく上での必要を満たされることでも、社会的に認められたいと願うことでもなく、実存の願い、イエス・キリストがこの世に王として立たれる、それを見ることではないでしょうか。と語られます。それを見ることが私たちの存在の本質の願いではないでしょうか。と。。。「幸いなるかな。私につまずかない者たち」イエス様がおっしゃってくださるお言葉に、目が開かれます。

⑫神のしもべはこれによって生きる

イエス様が洗礼者ヨハネについて語っておられる箇所から。

イエス様が洗礼者ヨハネに対して、神様に用いられ、素晴らしい働きをしてきたことを認めていたにもかかわらず、直接賛辞を送らなかったのは何故か?聖書の言葉を読むだけではわからないことを、この章においてもわかりやすくお語りくださっています。

そうして、イエス様は、私たちに対して称賛したり、感謝したりなさらない。神様のそばに立って仕えるように命じてくださるのだと、教えてくださいます。聖霊を注いで、立つ力も与えてくださるのだと!!旧約聖書を開きながら、神様の御言葉の意味を学びました。

⑬いのちに満ち溢れることこそ

ヤイロの娘と、長血を患う女の箇所から、「けがれ」と「けがれからの救い」について学ぶ。
イエス様の衣の房にでさえも触れることが出来れば、癒されると信じた姿に私たちは学ぶことがありました。さらに深く長血を患うことの辛さ、けがれとされていたことの理由。かげれという言葉の真の意味を学んでゆきます。

長血を患うことがけがれではなく、「命が欠乏した状態」だということを知るのでした。
私たちも神様からの聖霊、イエスさまのいのちを注がれる時、力を得ることが出来る。

⑭キリストは、あなたが死んでもあなたを諦めない

イエス様の重大関心事は、ご自身のいのちを私たちに与え、私たちが神の息吹きに満たされて生きること。
死んだヤイロの娘の箇所から学びます。

この箇所は、自分のみでなく、大切な家族、友人たちとのいつかは訪れる地上の生活について深く考えさせられます。
イエス様が聖霊の息吹きを注いでくださるということの事実が、私たちの心だけではなく、体も聖霊で満たしてくださるということを知るのです。

大頭眞一 著 絵本 「こどものための神のものがたり」

大頭眞一牧師が絵本、こどものための神のものがたりを出版しました。ここに、焚き火牧師パスター大頭が語る神様の愛、体温、息吹をこどもだった私たちにも向けて熱く語られています。暖かく心震えるような神様の物語をお聞きください。

大頭眞一 著 「天からのはしご」創世記下 焚き火を囲んで聴く神の物語・説教篇2

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岩本遠億 著 「聖霊は愛を完成する」ルカの福音書説教集2

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濱 和弘 著 「普遍啓二論 そこに立ち現れる神」傘の神学Ⅰ

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