みんなの広場に「出版社ヨベルさんのキリスト教書籍の朗読会」というグループがあります。

このグループは関係者のみのプライベートグループのため、グループ内での活動の様子はお見せできないのですが、出版社ヨベルさんと著者さまから、朗読された音源を公開してもよいとのご許可をいただきましたので、このページにてご紹介させていただきます。

出版社さま、著者さまに感謝いたします。

朗読をBGMのように聞くメリットあれこれ

実際にお聞きくださった方々からの感想や使い方などをご紹介します。

ふーちゃん

最近視力が悪くなり、本を読むことがつらくなっていました。

でも、この朗読で聖書の物語や、キリストのことを学べて、とても感謝です。

ひささん

毎日聞くことで、整えられていると感じています。

霊的に整えられている。そんな感じに感謝です。

ひろさん

アイロンがけ、キッチンでの仕事をしながら聞いています。

世界が変わるように思います。

けいさん

入浴中に聞いています。

読むよりも聞くほうが頭に入りやすく、イエス様の豊かな物語にぐっと引き込まれています。

えりこさん

夜、寝るときに聞いています。

心地よい朗読が、まるで子供のころお母さんに読み聞かせしてもらった時と同じ感覚になって、心落ち着いていつのまにかぐっすりと寝ています。

眠れないという人にもおすすめです。

あいさん

疲れて頭が痛いとき、朗読を聞いています。

聞いているといつのまにか頭痛を忘れて、物語に引きこまれています。平安が与えられます。

まりさん

介護中、耳で聞く読書。とても恵まれています。

よしさん

車の中で聞いています。とても落ち着きながら聞くことができます。

信号待ちや、渋滞に巻き込まれてもイライラすることがなくなりました。恵みだと感謝です。

朗読の聞き方

各章をクリックしてアコーディオンを開いてください。
音源を聞くことができます。

大頭眞一 著 「アブラハムと神さまと星空と」創世記上 焚き火を囲んで聴く神の物語 説教篇1

あなたの推しの本を選ぶなら?と問われれば、間違いなく、この「アブラハムと神さまと星空と」です。

神さまの愛を知ること、神さまは目には見えないお方なのに、神さまを五感で感じられるのです。誰でも、私たちみんなが神さまと交わり、愛をそそがれ、抱きしめられているということ。神さまの語りかけに耳を傾けることの喜び、平和な心はもうすでに、与えられていたということを知るのです。神さまを知らないという人にも、弱さの中にあるお友達にそっと渡したい。そんな本なのです。

神さまの深い物語が、今ここから、大頭眞一牧師の優しく、温かな、魂から溢れでるような言葉が綴られ、語りかけているのです。読みながら心震え、時に切なくなるほどに、涙溢れつつ朗読しました。

ご一緒に神さまの深い、深いご愛を受け、神さまがどれほど私たちを愛したいと願い続けておられるのか、イエスさまが共にいてくださることの恵みを味わっていただければ幸いです。焚き火にあたりながら、あなたの心にお届け出来ますように!!

①天地創造

新島襄がどうしても手にしたかった聖書。聖書が語りかけたこと…。神さまが、新島襄に働きかけたこととは?「はじめに天と地が創造された。」聖書が語る神さまの物語が始まる!

大頭牧師が解き明かす創世記は、聖書をよく理解できないと感じる方にも、知らないという方にも、きっと思わず耳を傾けることでしょう。神さまの愛の物語の始まりです! 

②世界で最初のラブソング

創世記2章23節「これこそ、ついに私の骨からの骨、私の肉からの肉。…」そう歌うアダム。世界で最初のラブソングと言われるところ。愛し合うために造られた私たち。愛とは何か?神さまの愛とは? 

③ああ、アダム

私たち一人一人がアダムであって、今日このいのちの木を選ぶようにと招かれている。ずっといつも神さまはご自分に向かって、いのちに向かって、私たちを招いておられる。

それにも関わらず背いて生きている私たち。それでも神さまは「あなたはどこにいるのか」と訊ねてくださる。探してくださる。そして連れ戻してくださる。神さまのご愛の深さをここからも知る恵みに感謝があふれるばかり。 

④失楽園

人が世界の主人公になろうとしとき、世界に不幸な破れが始まりました…。神さまは、人が果てしなく悪いものになっていくことを、とどめることを願いました。そこで「死」という制限を設けられたのでした。絶望的で最悪な歴史のように思っていました。

けれども神さまは愛のお方。世界の回復を願い、目標としていてくださった。世界の破れを繕う私たちであるようにと願っておられる。私たちを通して神さまの物語が進められている。希望の光を見つけられたように感じられる。 

⑤カインとアベル

「生めよ。ふえよ。」と命を祝福してくださる神さまは、神さまの心がわかる人がふえよ。と願っておられた。カインとアベル、二人の兄弟が生まれたのも、助け合って生きるため。愛し合って生きるために造られた。それなのに、悲しい事件が起こる。

それでもあきらめない神さま。愛に背を向けて、気難しい、孤独な主人公になることがないようにと願っておられる神さま。イエスさまを与えてくださった神さま。聖餐を受ける私たち。聖餐に込められた思い、意味とは…。 

⑥ノアの箱舟

本気で私たちに愛を望んでおられる神さま。自然災害、悲しい出来事が何故起こるのかはわからない。神さまが起こされたことではない。私たちを大きな愛で愛されているということの中で、私たちが悲しんだり傷んだりしているときには、私たち以上に神さまが悲しんでおられること。

これを知っておくならば、私たちの目は開かれてゆく。ノアの箱舟の物語の締めくくり、約束の虹。神さまがくださる本気の祝福を、私たちは感謝して、信じて、受け取る信仰者でいたい…。大きな励ましを受ける章。 

⑦バベルの塔

アダムとエバから始まった罪が下向きの渦巻きのように、下に行くほどどんどん勢いを増して、世界を吞み込んでいく。 

神さまが恐れているのは、彼らが神さまに背を向けて、神さまを忘れて、神さまから離れて滅びていくこと。神さまが支配者であることを否定する社会は結局自分が主人公だと思っている人々同士が互いに傷つけ合っていく世界。そのように、人びとの苦しみがさらに増すことを、神さまは心配して、これをとどめようとなさいました。私たちが変えられていくということとは?神さまの愛に生きることのヒントが詰まっています。

⑧アブラハムの旅立ち

「わたしが示す地へ行きなさい」神さまからアブラハムへの「召し」コーリングが繰り返される。私たちにも神さまからのコーリングを感じ、繰り返しの呼びかけを感じることがある。

それは神さまからの祝福。何かの決断を求められたり、何か心が変えられていくことを求められたりする。信仰によって、促しに従ったアブラハム。そんなアブラハムも失敗を繰り返す。しかし、神さまはアブラハムを見捨てない。促し、信仰を持って進む時も、神さまがしてくださることを思い巡らせる。 

⑨アブラハムの選択

「のち知るべし」と祈りの中で用いられる。今はわからないけれども、あとでわかります。だから、いま示されたことをやっていく。毎日生きていく私たちは神さまに「どうしてですか?」さけびながら、しかし置かれた場所で神さまにお仕えしていく。

アブラハムは自分の中に破れがあることを発見した。恐怖に支配されて神さまのみこころを行うことが出来なかった。そういうときに、アブラハムは神さまを呼び求めた。選択しないことを選んだアブラハム。神さまへの信頼の心を知る。なにがなんでも握りしめることからの自由。大切なことをアブラハムを通して学び、私たちの進む道を示される章。 

⑩アブラハムの分け前

捕虜になった甥のロトを奪還したアブラハム。アブラハムとメルキゼデクの出会い。メルキゼデクから受けた祝福を喜ぶアブラハム。神さまの御臨在と喜びを味わったアブラハム。私たちも、神さまからの祝福を受け、成長する。神さまのおこころをゆっくり、時間をかけて知ってゆく私たち。祝福を受ける私たちと捧げることについて学ぶ心が与えられました。。

⑪アブラハムと神さまと星空と

神さまが与えてくださる信仰の心。すなおに受け取ることが出来る私たちでありたいと思わされます。神さまがアブラハムの手を取り、星空を眺める姿がありありと浮かぶような気がいたします。それは、神さまがいつも私たちに語りかけてくださる神さまのまなざしと、あたたかなみ言葉を聞くこと。アブラハムを通して、私たちもまた神さまが親しく交わりたいと願ってくださっていることを知りました。

Solae(ソラ) 著 絵本 「起き上がり小法師」

起き上がり小法師

いつも目の前にある起き上がり小法師。「何度でも起き上がる、起き上がりこぼし・・・」頭の中に繰り返されるそのフレーズ。

これまでの道のりと重なった時生まれた小さな物語。神さまがそっと起き上がらせてくださった。身体も、心も、新しくしてくださった。新しくされたことに意味がある。神さまの思いがあることを、少し知ることができたように思うのです。

福島や東北の3.11から、毎年のように繰り返される各地の自然災害ニュースを見聞きするたびに、絵本『起き上がり小法師』の物語をお届けできれば良いなと願っていました。音源としてならアリシアの森を通して届けられることに気づきました。

事故に遭って、多くのことを失ったけれど、生かされて、新しくされたこと、感謝して生きてゆこう。そんな風に日々思うのです。

今も、これからも、私の心に、あなたの心に、みんなの心に、いつもそっと手を添えてくださる方がおられる。くじけそうになったり、しんどいなと思う時、心がフリーズして固まってしまう時、どんな時にも起き上がる力が与えられていることを思いながらそっとあなたにこの物語を手渡したいと思います。 ソラより

岩本遠億 著「神はあなたの真の願いに答える」ルカの福音書説教集1

岩本遠億先生の紐解くルカの福音書説教集。礼拝にて語られたメッセージに加筆して収録されています。

ルカの福音書を読む時、その時代背景やそこに存在していた人物などについて、旧約聖書を開きながら、丁寧に語られています。聖書の言葉からだけでは、分かりにくいと感じるのですが、遠億先生は優しく、誰にでもわかりやすく、語っておられます。

読みすすみますと、まるで目の前に聖書の登場人物、景色、時に起こる事件や出来事がリアルに映し出されるような感覚になります。遠億先生が祈りと共に、緻密で、言語学者らしさを持って厳選された言葉で語ってくださるからこそだと思うのです。ルカの福音書、第1巻の始まりです!

①神はあなたの真の願いに答える

ザカリヤにスポットが当てられています。祭司ザカリヤと妻エリサベツが願っていたこと。2人の間に生まれた洗礼者ヨハネ。神さまの御使いガブリエルが伝えた「あなたの願いは聞き入れられた」の宣言と、私たちが抱く表面的な願いと、真の願い、真の我が切に求める願いが違っているかもしれないということの気づき。

その時、口が聞けなくなったザカリヤは神さまとの時の中にあり、聖書を読みながら思い巡らせ、啓示を求め、神さまの声に耳を傾けようとしたとあります。そうして、聖霊に満たされたザカリヤは御心の道に進む姿がリアルに語られています。これらのことを通して、私たちにも示されることを知るのです。

②メシアを育てる-この人のために生きよ

イエス様誕生の様子と時代背景について学ぶ箇所。
住民登録のためにナザレからベツレヘムへ向かうヨセフとマリア。この住民登録について、歴史から学び、神様ご自身のご意思を遂行なさった出来事であったこと。

そして、マリアとヨセフという人物についても大変丁寧に、またリアルに語られています。ナザレという土地柄のこと。ヨセフの仕事のことなど、私たちが普段知り得ない事柄を教えて下さっています。読み進む毎に、聖書に記されている物語が鮮やかに理解を深めてゆけるようでありました。

③神はこの命を愛してくださっている ④真の権威はここに立つ ⑤ 「私は特別」の落とし穴

悪魔について語られています。
イエスさまが伝道を始められる前に、サタンから試みを受けたことを学ぶほどに、サタンの執拗さは、イエス様を十字架から引き離すことだったということ。サタンは愛を死なせるために誘惑する。そうして、謙遜について学びは豊かな学びへと導かれてゆきます。イエス様の謙遜が私たちを悪魔から守ってくださること。感謝と祈りばかりです。

⑥否定されても、何度否定されても

イエス様は、ご自分が排斥されることがわかっている古郷ナザレに、わざわざ来られたと言います。それはなぜだったのでしょうか。それにはどのような意味があったのでしょうか。。。

この章においても、イエス様が父ヨセフと共に過ごした様子、時代背景などきめ細やかに解説され、さらに、会堂にて朗読を任されることは、テストされていたこと。そのテストがいかに難解であったかを知り、驚きばかりです。言語学者ならではの言葉、文字認識の知識について知ることは、聖書をもっと深く読むことが出来るよう道案内をされているように思います。 
イエス様からの語りかけに、大きな励ましを受けるのです。

⑦そのままわたしのそばにいなさい

イエス様は、私たち一人ひとりの内面的事情、外面的事情を知って、個別的にアプローチをしてくださるお方。ペテロがどのようにイエス様と出会ったかを学ぶ。。。ペテロのイエス様に対する思いを丁寧に読み解いてゆきながら、イエス様のご愛に触れる。

讃美歌「いさおなき我を」の誕生秘話は、私の心や思いと重なり、深く響きました。イエス様が語りかけてくださる「そのまま来なさい。罪人のまま私のところに来なさい」とお言葉がいま、私の心にも届き、感謝です。

⑧ 「私みたいな者」とは言わせない

冒頭に記されている、ポジティブ・フェイスとネガティブ・フェイスは、思い当たることばかりで、大変興味深い内容です。また、日常よく「私みたいな者」という言葉も発してしまいますから、この章は私のために語られたメッセージではないかと思いながらの朗読となりました。

汚れた霊に取り憑かれた息子の箇所から学びは進みます。イエス様はネガティブ・フェイスをお喜びにならない。とあります。これは、痛烈パンチのように心に響きました。言語学者だからこそ、言葉のニュアンス、使い方、用い方にきちんと意味があることを指摘されておられます。きめ細かな用語、用法に耳を傾けていただきながら、それでもイエスさまがお語りくださる愛に満ちた力強いお言葉をこの身にまといたいと願うばかりです。

⑨答えは神のいのち

罪ということ。罪の赦しについて学んでいきます。そして、その罪と赦しは「いのち」と「死」との関係によって罪と赦しということを理解し、理解するだけでなく、イエス様の十字架の血を、私たちはこの存在で体験することが大切です。と語りかけられて始まります。

イエス様が人々の前で語られている所に、中風を患う友を天井からつり降ろした話しの箇所。

何故、如何にしてこの事が行われたのか、時代背景、文化風習的な歴史を教えてくださりながら、この箇所の詳細が語られてゆきます。そして、イエス様が来られたことの本質について、力強く、強調して語られています。

信仰は考え事ではありません。友のために祈りはじめる。その時、友のいのちの回復のプログラムは開始するのです。この愛が、イエス様の愛と呼応する。イエス様は、必ずいのちを注いでくださいます。諦めてはなりません。友のために祈りましょう。友と共に祈りましょう。友が祈れない時、私たちが友に代わって祈りましょう。その祈りは必ず聞かれる。私たちと共に祈ってくださるお方がいるからです。。。
いつも祈りに支えられていることを思いますし、祈る者でもありたいと願うのです。

⑩自己分裂の中から

カペナウムに駐留していた百人隊長のイエス様への信仰の記録から学びます。
この百人隊長の立場や人柄がつぶさに語られています。

そうして、その百人隊長が「ただ、おことばを下さい。そうして私のしもべを癒してください。」と懇願する願いに、私たちは大きな学びを得るのです。私たちもまた、そのようでありたいと願いつつ、祈る大切さを知るのです。

⑪この存在の真の願いを知る神

あなたの願いは何かと問われ、心の奥深くを探り求めてゆく作業をしながら、読み進みました。
洗礼者ヨハネとイエス様との最後のコミュニケーションについて学ぶ箇所。

イエス様が洗礼者ヨハネに特に伝えたいこと「死人が甦っているぞ。メシアは死に打ち勝っているぞ」ということ。
「わたしの中に希望を見出だすものは幸いである」とおっしゃっておられる。そして、ヨハネの真の願いを学び知ることで、私たちにとっての真の願いは何かを知るのです。生きてゆく上での必要を満たされることでも、社会的に認められたいと願うことでもなく、実存の願い、イエス・キリストがこの世に王として立たれる、それを見ることではないでしょうか。と語られます。それを見ることが私たちの存在の本質の願いではないでしょうか。と。。。「幸いなるかな。私につまずかない者たち」イエス様がおっしゃってくださるお言葉に、目が開かれます。

⑫神のしもべはこれによって生きる

イエス様が洗礼者ヨハネについて語っておられる箇所から。

イエス様が洗礼者ヨハネに対して、神様に用いられ、素晴らしい働きをしてきたことを認めていたにもかかわらず、直接賛辞を送らなかったのは何故か?聖書の言葉を読むだけではわからないことを、この章においてもわかりやすくお語りくださっています。

そうして、イエス様は、私たちに対して称賛したり、感謝したりなさらない。神様のそばに立って仕えるように命じてくださるのだと、教えてくださいます。聖霊を注いで、立つ力も与えてくださるのだと!!旧約聖書を開きながら、神様の御言葉の意味を学びました。

⑬いのちに満ち溢れることこそ

ヤイロの娘と、長血を患う女の箇所から、「けがれ」と「けがれからの救い」について学ぶ。
イエス様の衣の房にでさえも触れることが出来れば、癒されると信じた姿に私たちは学ぶことがありました。さらに深く長血を患うことの辛さ、けがれとされていたことの理由。かげれという言葉の真の意味を学んでゆきます。

長血を患うことがけがれではなく、「命が欠乏した状態」だということを知るのでした。
私たちも神様からの聖霊、イエスさまのいのちを注がれる時、力を得ることが出来る。

⑭キリストは、あなたが死んでもあなたを諦めない

イエス様の重大関心事は、ご自身のいのちを私たちに与え、私たちが神の息吹きに満たされて生きること。
死んだヤイロの娘の箇所から学びます。

この箇所は、自分のみでなく、大切な家族、友人たちとのいつかは訪れる地上の生活について深く考えさせられます。
イエス様が聖霊の息吹きを注いでくださるということの事実が、私たちの心だけではなく、体も聖霊で満たしてくださるということを知るのです。

大頭眞一 著 絵本 「こどものための神のものがたり」

大頭眞一牧師が絵本、こどものための神のものがたりを出版しました。ここに、焚き火牧師パスター大頭が語る神様の愛、体温、息吹をこどもだった私たちにも向けて熱く語られています。暖かく心震えるような神様の物語をお聞きください。

大頭眞一 著 「天からのはしご」創世記下 焚き火を囲んで聴く神の物語 説教篇2

準備中です

大頭眞一 著 「栄光への脱出」出エジプト記  焚き火を囲んで聴く神の物語 説教篇 3

焚火を囲んで聴く神の物語・説教集第3巻。出エジプト記です。神さまがモーセを遣わされ、イスラエルの民を救い、とことん愛し続けておられる。イスラエルの民が正しい人々だったからではなく、神さまが愛したいと願っておられたから。私たちもまた、神さまが愛したいと願い続けてくださっていることを、大頭牧師のメッセージから知ることができます。クリスチャンにとって、天国がゴールではない。世界の回復のために用いられていることを知るとき、私たちは工事中で、世界の回復途上にいることを知ります。私たちが今、考えることは?すべきことは?壮大な出エジプト記の物語から、心あたためられる珠玉のメッセージがここに!

章のタイトル

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8章のタイトル

及川 信 著 「イースター小品集 私が十字架になります」

京都正教会の長司祭、及川信司祭による、オリジナル聖書物語のシリーズ第二弾『イースター小品集』です。

短編集でありながら、イエスと母マリアのカナの婚礼の場面から始まり、イエスさまの十字架へと向かうまで、動物や樹木にも与えられた使命。そして残された人々の物語へと展開され、一つの壮大な物語となっています。

聖書に記されている事柄を基に、緻密で深みのある豊かな物語が展開されています。キリストの愛。真実の愛に触れることができる登場人物たちが、それぞれ癒され、励まされ、力づけられ、生きてゆく様子は、自分へも向けられているイエス・キリストの愛そのものであることを感じられるのです。

イエスさまの十字架の意味を、この物語を通して知ることは大きな幸いです。東方教会の祈りの言葉や単語などを知らない私ですが、自然とアーメンがアミンと口からこぼれ出るのです。違いに何の隔たりもありません。同じ神さま。イエスさまの愛の物語がここにあります。

美しい自然や風景がありありと見えるようです。色や香りも感じられます。イエスさまの愛を受け取り、優しさと、強さとを与えられ、私たちがこの地上での生活をそれぞれの使命を持って生きてゆくことを考えさせられます。イエスさまの計り知れないご愛を、小さな子どもたちへわかりやすく届けられることでしょう。

もちろん、大人の読者へも、素晴らしい恵みがうけられる最高の良書であることは言うまでもありません。何度も、何度も、繰り返し読みたいと思えるはずです。

第1章「赤いゆり」の紹介

受胎告知を受けたマリアの手に渡された白いゆりの場面からお話が始まります。亡き夫ヨセフが建てた家で行われたカナの結婚式。マリアのヨセフに対する敬愛の心持ちにため息がこぼれます。。。その家で行われた結婚式の場面では、その時代へとタイムスリップしたかのように、リアリティあふれ、まるでその場に参列しているかのような錯覚さえ感じます。そして、イエスさまの初めての奇跡がどのような経緯によってなされたのかを聖書を辿るようにお話が進みます。物語はやがて、ラザロを生き返えさせられた奇跡からイエスさまが十字架によって永眠された事柄へと移ります。白いゆりが、なぜ赤いゆりと変えられたのか?私たちにイエスさまの十字架による血の贖いが迫ってきます。

第2章「白いろば」の紹介

エルサレム郊外にある家畜商店アララト商会が舞台。そこに生まれた真っ黒なろば。母親は真っ白なろばで、アララト商会においては白い動物たちが重宝される中にあって、苦難を強いられるかわいそうな子ろば。色が黒いことで意地悪な言葉を投げかける動物たち。やがて、黒いことに思い悩む子ろばの悲しい心とそんな子ろばを優しく見守り続ける母ろば。そうしてイエスさまとの出会い。この子ろばこそが、イエスさまに用いられ、母ろばには十字架による永眠されたイエスさまをお墓までお連れする使命が与えられるのです。いつだって、私たちにはわからないことがあるけれど、神さまが共にいて大きな愛を差し出し続けてくださっていることを知るのです。可愛い、愛らしい子ろばと一緒に、イエスさまに会いにゆきましょう!

第3章「バラバ」の紹介

強盗殺人の罪を犯したバラバとイエスさまと弟子たちの出会いとそこで繰り広げられる、イエスさまが語られることばの数々。変えられてゆく人たち。頑なにイエスさまを拒み続けるバラバ。やがて、重い罪あるバラバは釈放されてイエスさまが十字架刑にされてしまう。バラバが近づいたイエスさまから発せられたことばは、バラバへの慈愛。私たちには到底許せないと思う人、その人にさえイエスさまの愛があることを知るのです。十字架による、イエスさまの贖いはすべての人のためにあるのでした。心から感謝の祈りを捧げ、アミン!と祈らずにはいられません。

第4章「わたしが十字架になります」の紹介

天の国に植えられた樹木たちの物語。天使にそれぞれの役割分担を告げられる樹木たち。やがて、イエスさまの十字架になる木はいないかと問われる。十字架になった後は焼かれて炭となり、灰となることを知り、恐れおののく樹木にあきれ返る天使。そんな中、あえて申し出たうばめがし。天使はうばめがしを祝福する一方、あれこれと言い訳をしながらも逃げようとした樹木たちに向かって剣を掲げる。うばめがしのとりなしの祈りのことばは、まさにイエスさまがとりなしてくださった、あのことばなのでした。うばめがしに与えられた祝福は限りなく幸いそのものです。

第5章「ヴェロニカ」の紹介

長血の患いに苦しむ女。その名はヴェロニカ。彼女の追う重荷はあまりにも過酷でした。イエスさまの衣にさえ触れることができれば、きっと癒されると信じた信仰の持ち主。ヴェロニカは確かに癒されました。しかし、そのヴェロニカに更なる試練が待ち受けていたのです。まさかの衝撃が待ち受けます。しかし、ここにもイエスさまの大きな愛がありました。どこまでも深いイエスさまのご愛がヴェロニカを救い、傷ついた心を癒してくださいました。そうして、生きる力を与えられたのでした。

第6章「ふたりの弟子」の紹介

アリマタヤ出身、最高法院、サンヘドリンの一員であるヨハネと、その友人ニコデモの物語。十字架にかかられたイエスさまを引き取り、墓へと埋葬する二人。イエスさま永眠直後の出来事が細やかに描写され、墓へと向かう道で語り合う二人の会話が続きます。イエスさまの歩まれた日々を思い返し、ひとつひとつの出来事を思い出すヨセフとニコデモの心に、イエスさまの本当の弟子となることが示されるのでした。

第7章「ピラトの妻」の紹介

イエスさまに罪がないことを知っていながら、十字架刑を言い渡したピラトの妻の物語。西暦36年、第二代皇帝ティベリウスのいるナポリの別荘へと向かう船に乗っていたのは、ピラトとその妻。そしてイエスさまに死から救い出されたラザロとその姉のマリア、イエスさまの弟子トマスも同行していました。ピラトの妻の思惑と、願いが描かれています。ラザロの姉マリアは、マグダラのマリアであり、トマスと共に伝道の旅を続け、信仰へと導いていました。そして、ラザロはキプロス正教会の初代主教として生きたと記されています。歴史の秘密を垣間見るような心持で朗読しました。

第8章「ペトロの旅立ち」の紹介

老使途ペトロ。どれほど多くの人々にしたわれても、多くの人々に師と仰がれても、朝毎に鶏鳴を耳にしては、罪の意識を常に抱えている苦悩の様子に胸が痛くなる思いです。しかし、そんなペトロの前にイエスさまが立ち現れてくださり、イエスさまとの時を過ごし、癒されてゆくペトロ。ゆるぎのない信仰と信念が与えられているように感じられました。イエスさまのご愛と恵に力を得たペトロは今、ローマへの旅へと向かう!

岩本遠億 著 「聖霊は愛を完成する」ルカの福音書説教集2

聖書を読み、そこに記されていること、神さまが何を私たちに伝えようとされているかを、正しく知るためには、聖書の時代の歴史、地理、文化などについて知ることの大切さを今回も丁寧に教えてくださりながら、今まで聖書の言葉を断片的に読み取り、誤った理解をしてしまっていたことに気づかされます。神さまが私たちに本当に言いたいこと、伝えたいことが何だったのかを知った時、聖書理解が進み、神さまの愛が私の心に触れてくださる。どの章を読んでも、自分のために語りかけられているようで、神さまの愛に圧倒されます。胸に迫る神さまの圧倒的な御思いに涙が溢れるのです。それは、まさに聖霊に満たされることなのだと思うのです。遠億先生が語られるメッセージと祈りに礼拝の恵みがここに!!

①1章「愛は自分の正しさに死ぬ」の紹介

この箇所についても、歴史背景、地理などわかりやすく教えてくださりながら、十字架へと向かうイエスさまの様子を丁寧に語ってくださっています。
特にメシア理解について、一般的な理解とされていることと、当時のメシア理解が全く違うことは重要なことだとあります。さらに、ペテロに「あなたは鶏がなく前に三度わたしを知らないという」イエスさまのお心がどんな意味があったのか?私が今まで理解していたこととは明らかに違っていたことは驚きでした。
悪魔の策略、誘惑に打ち勝つこと。自ら十字架に架かられたイエス・キリストと一つになることを願いたいと祈る時、私たちにキリストの血潮が注ぎこみ、使命が与えられるとあります。
圧倒的な力強さ、心奥深くに熱く注がれ、恵みを受けるのです。遠億先生のお祈り、声を出してお読みいただきたいです。

②2章「期間限定の働き」の紹介

②献身について、今一度考えてみる。
個人に与えられる権威、賜物は永続的ではない。深い祈り期間限定である。
「癒しが出来る」と求めることは、個人崇拝、権威主義の源泉となり、おかしな方向にいく原因だと、戒められています。
献身は、安心して無理せず喜びに満ちてやっていきましょう。と優しく語りかけられている。

③3章「乞食伝道者の幸い」の紹介

③財布も袋も持たず、履き物も履かずに伝道に出かけることとは、財産を持たず、名誉を棄てること。それは、悪魔とその手下に打ち勝つこと。
試練や困難にある時、手を差し伸べてくれる人に、その人を神さまは握ってくださっている。
ナルニア国物語における、雪と氷に閉じ込める白い魔女の支配は、アスランが到着する前に打ち砕かれ始める。イエス・キリストがありありと御臨在くださる前に、イエス・キリストの春はやってくる。癒しは行われ始める。そのために私たちは遣わされるのです。
次々と語られるメッセージに、神さまの業が立ち表れる。

④「愛は取引しない」の紹介

④良きサマリア人の譬えから、私たちが今の状況下の中でどのように受け止めたら良いのかを、イエスさまの時代のこと、物事の背景を教えていただきながら、イエスさまが語られたことの意味をさらに理解してゆくように語れている。聖書に記されている汚れとは、汚いとか、汚れていると誤解されやすい。聖書が記す汚れとは、いのちが欠乏している状態だとのこと。いのちが全部なくなった状態が死。そのようなことから、律法を守る祭司もレビ人も強盗に遭い怪我を負った旅人を助けようとしなかったこの意味を理解できる。そうして、サマリア人の行いをイエスさまは永遠のいのちを得たと仰る。サマリア人は永遠のいのちを得るために人助けをしたわけではない。そうせずにはいられなかったサマリア人なのでした。愛は無条件。この箇所を読むたびにこころが震え、涙があふれます。聖霊に触れられる幸いをご一緒してください。

⑤しるしではなく実体に出会う

「しるし」という言葉の意味を知ることが大切。しるしとは、「実体」を指し示すものであって、実体そのものではない。このことを理解しながら、聖書に記されている、しるしについて解き明かしてくださる。悪魔がささやくイエス様が神さまの御子であることのしるし。人々がいうイエス様のしるし。ヨナの物語を示しながら、イエス様のしるしについての学びが進んでゆきます。私たちが切に願い求めるべきこととは。。。?私たちが祈り求めることの大切さを、心深く刻まれてゆきます。

⑥内側から湧き上がる命に溢れよ

イエス様はいろいろな人々の食事に招きに招かれました。そのようなことが聖書に記されているのには、どのような人であっても、誰一人拒絶されることはないということを示している。ところがイエス様は全く「配慮」といういことを考慮なさらない。このことを詳しく学んでゆく。

⑦キリストは誰一人切り捨てない

失っても諦めのつくことと、決して諦めることができないこととは?この違いから、神さまが私たちを大切に思い、愛してくださっていることを繰り返し教えてくださいます。人を何かにつけて、分類してしまうことはないでしょうか?神さまは、誰一人決して切り捨てたりしません。いつでも、どのような中にあっても、探し出して見つけて、いのちを注いでくださる神さまのご愛は、読んでいるうちにきっと、心の中に神さまの温もりを感じることでしょう。

⑧完全でなくなるほど愛する神

放蕩息子の譬え話しから、放蕩息子が父の家へ帰りつこうとした時、父が息子を待っていたこと、走りより、首を抱き口づけ、をしてくれたこと。ひとつひとつの事柄を丁寧に読み取ることで、父を離れた息子は神様から離れた私であり、神様の愛がどれほど深いことかと知ることが出来ました。

⑨わたしのものは全部あなたのもの

神さまが「わたしのものは全部あたなたのものなんだよ。」と言われたなら、「そうですよね。神さまありがとうございます。」と素直に答えられる人がどれほどいるでしょうか?放蕩息子の譬え話しの箇所から、放蕩息子の兄の心の内側を読み解きながら、父が行った行動、言動などの意味を丁寧に教え語ってくださいます。そうして神さまのまなざしと計り知れない愛の心を知ることができるのです。兄弟姉妹を持つ読者には殊更胸に迫る思いが湧き上がってくるのではないでしょうか。長い間抱えてきたこだわりや悲しみ、寂しさといった感情がほどけてゆくように感じられました。

⑩聖霊は赦しに赦す

ルカによる福音書16章1節~2節。より、財産という言葉の意味を考える。「財産」が意味するのは、「神のいのち」「神の子の本質」ということ。この「神のいのち」や「神の子の本質」を失ってしまうこと。つまり罪ということ。神様は、私たちが失ったいのちを回復しようとしてくださる。全ての罪を赦す権威を持つ聖霊を受けて、私たちもひとの罪を赦しなさいと語りかけられます。聖霊を受けて、赦しに赦しなさいと。赦すとは愛すること。

⑪聖霊は愛を完成する

及川信著 クリスマス小品集『みちびきの星』

濱 和弘 著 「普遍啓二論 そこに立ち現れる神」傘の神学Ⅰ

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